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    • 2020.02.19 Wednesday
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    山家(やまべ)小路の由来

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      二十四小路5


      山家(やまべ)小路の由来


      山家小路石柱東町の成り立ちは天正十五年(一五八七)と

      伝えられ 三丁目の区分は大正三年四月である。

      山家小路の名称は慶長十八年(一六一三)と記録にある。

      信府統記に昔は紺屋町と言い、中比鍛冶町といい、

      今は山邊小路というとある。山辺への出口の町である。

















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      国府町  (旧町名)

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        国府町の由来

        明治三十五年に篠ノ井線が開通し、松本駅が松本町の玄関になると、

        それに相応しい町名として、かつてこの地が信濃の国の府中として

        栄えていたように、松本町の反映を願って国府町と命名された。








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        出川町    (旧町名)

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          出川町の由来

          当地域には弥生時代から中世にいたる遺跡があり、その歴史は古い。中世までは高原瀬と言われていたが、地下水が豊かな湧泉地帯であり、小川が無数に流れ出ているので、出河川(でがわ)、後に出川(いでがわ)と呼ばれるようになったと伝えられる。町名は出河川里〜出河川村〜出川町〜出川町村〜出川町などと変遷した。

          出川公民館




          出川(いでがわ)は、長野県松本市の市街地の南にある地区。(住居表示実施地区、1〜3丁目がある。1丁目は1992年、2・3丁目は1994年に設定)。南隣りの出川町については出川町の項を参照。

          中央を田川が横断しており、右岸に1・3丁目、左岸に2丁目がある。また、1丁目と2丁目は和泉川によって区切られている。並柳出川町との境にはやまびこ道路が通り、郊外型専門店が集まっている。2丁目の中央には北国西街道の一部に当たる出川通りがあり、県の史跡に指定されている旧中田家住宅など古い家屋が多い。

          2008年にオープンしたライフスクエア コモ庄内マツヤが展開するユーパレット南松本店、宮脇書店松本店、ゆめひろば庄内、出川郵便局、ガーデンヒルズ迎賓館松本などがある。近年都市化による人口が増加しており、特にライフスクエア コモ庄内は終日賑わっている。(ウィキペディアより











               


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          並柳   (旧町名)

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            並柳(なみやなぎ)の由来

            中世鎌倉期から戦国期の並柳卿にさかのぼる地名。えどきから明治期にかけては村名となり、現在の町名に至る。かつてこの地は湖がありその水辺に柳が繁茂していたことによりその地名がついたと伝えられる。




                  

            並柳(なみやなぎ)は、長野県松本市の市街地南東に位置する地区。(住居表示実施地区、1~4丁目がある。1994年に設定)。俗に塩ノ崎などと呼ばれるところが入る。

            西側に田川が、南側に牛伏川が流れている。東側は中山(先端部は弘法山と呼ばれる)がそびえている。中山は一見すると丘陵地のように見えるが、学術的定義ではに該当する。並柳は浅間温泉から南進してきたやまびこ道路が並柳交差点で東進する地点に当たり、市内でも渋滞が激しい。しばらく前まではセロリの産地として知られ、一面セロリ畑であった。しかし急速な宅地化により、現在ではわずかを残すのみになっている。

            弘法山古墳並柳小学校県営並柳団地、松本市並柳運動広場がある。やまびこ道路沿いに郊外型専門店が林立している。それ以外は並柳小学校前の通りに郊外型の専門店が多いものの、住宅が中心の地区である。県営並柳団地は高度経済成長期の人口急増に対応すべく建設された、市内でも代表的な大団地で、松本バスターミナルから松本電鉄バス並柳団地線が運行されている。

            江戸時代には並柳村(波柳、次柳とも)として存在する時期と、並柳・塩ノ崎村として存在する時期、並柳村と塩ノ崎村に分立して存在する時期があった。(ウィキペディアより

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            神田   (旧町名)

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              神田の由来

              神田の地名は室町時代にさかのぼる。神田村は戦国期から江戸時代を経て、明治七年中山村の一部になるまで続き、その後昭和十八年に松本市に分離合併した。地名の由来は千鹿頭山の頂上にある千鹿頭神社の神の田によるという説が有力である。


               




                     
                         神田町会はホームページがあるんですね。  
                         今年は御柱が(建立祭)5月3日に行われなす。  



              神田(かんだ)は長野県松本市の市街地の南東の地区(住居表示実施地区、1〜3丁目がある。1・2丁目は1992年、3丁目は1998年に設定)。松本市の重要文化財に指定されている千鹿頭神社千鹿頭池がある。なお、土地利用の状況としては、1丁目は住宅が中心で、2・3丁目は住宅も見られるが田畑が中心となっている。


              江戸時代には神田村を形成していた。神田村は、明治時代、合併により中山村の一部となったが、神田地区は中山村の中心部よりも松本市の中心部のほうがアクセスしやすく都合が悪かったため、中山村のうち神田地区が先行する形で、1943年、松本市に編入された。


              南側は和泉川が流れており、東側は千鹿頭山などが連なる。西側はやまびこ道路が通っている。
              ウィキペディアより



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              縄手(なわて)通り 「ふぉと散歩」

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                 「ふぉと散歩」  水巡り2回目の最後に通った縄手です。


                      
                  縄手の由来
                縄道から転じ縄手となった 縄は真っすぐの意味を持ち通りの形から町名に三の丸堀と女鳥川との間の道で松並木の続く縄のような道であった云う 





                     



                 縄手の生い立ち
                縄手の露店の発祥は明治以降で、それ以前はお堀に面した土手であった。四柱神社の宮司が埋め立てを発案、町役場に話したところ予算がないから皆で埋ね立てろということになり、方々から土砂を運んで来て埋め立てた。この場所をにぎやかにするため四柱神社の要請で興行師に一役かってもらったのが縄手の露店の始まりとなった。
                ちなみに縄手の命名の由来は、松本城築城の頃にさかのぼる。設計図を作成する際、測量用に外堀の計画線の外側に縄を張った。その縄を水縄手と呼び、後に堀を監視するための細い道路を水縄手道とと呼ばれた。当時は縄手は城をとりまく四方にあったが現在地名として残っているのはここ1ケ所だけ。

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                梅ケ枝町 (旧町名)

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                  長沢町から大正八年に開設された長野県工業試験場正門までの道筋にそう町名である。この辺りは菅原道真(菅公)を祭る深志神社の宮本であるので、梅を愛でた道真に因んで梅ケ枝町と命名した。












                  現在は深志3丁目1023−2です。
                  ちょうど深志神社(天神)南側ですね。













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                  餌差町

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                    今日は人日(じんじつ)の節句です。春の七草をいれたお粥を食べて一年間の健康を願いましょう。






                    先日書きました女鳥羽の泉がある善哉酒造がある地区は依然餌差町(えさしまち)と呼ばれていました。











                    餌差町は城下の東の出入り口に当たり町の東端には木戸と十王堂が置かれ町番が木戸を守っていた。
                    百姓や町民はこの木戸からの乗馬は認められていなかった。町名はここに藩主の鷹の餌(小鳥)を差し出す役目の「餌差」を置いたことに由来する。





                    十王堂についてはこちらを見てください。





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                    中町から

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                      中町と大橋通りが交わり少し北に行くと本立寺小路があります。










                      ここには松本信金の中町支店が土蔵風な造りであります。








                        本立寺小路の由来

                      旧中町上ノ丁から本立寺の山門にいたる参道であった。慶長末年小笠原秀政の母の菩提寺と定めたが、明治5年の廃仏毀釈で廃寺となった。伊織霊水は本立寺境内にある。




                      次は「伊織霊水」です。

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                      一ツ橋

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                            中町を曲がるとこんな小路が








                        中町から一ツ橋に通じる小路で宮村町とはくいちがいとなってる。古よりこの小路は肴店でにぎわい、藩御用達の商人はここを通って東門から城内へ入ったいう。








                         
                                             

                                                 一ツ橋






                          外国の人が旅館・まるもに




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                           かれんだー

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